代表者プロフィール

田淵 隼人

高校卒業後、音楽の道を目指し、バンド活動を行う。アメリカの音楽が好きであったため、18歳でロサンゼルスに旅行する。高校時代は勉強を避けていた為、この時点では英語が分からず、今思えばロサンゼルスのほんの表面を見ただけで帰国した。その後バンド活動をしながら、英語の勉強も始めてみようと思うものの、進歩は全くみられず。「とにかく聞きまくる」をテーマに、英語のテープやラジオを聞き流すなどもしていたが、内容はよく理解できないままであった。当時、TOEICは430点ほど。もちろん、後半部分の大半は全部「B」でマークシートを埋めてくるだけだった。

数年後、力を入れて活動していたバンドが解散してしまい、ぽっかり心に穴が開いてしまったため、音楽の聖地、ロサンゼルスに3か月間短期留学を決意。英語にも興味があったのと、ロサンゼルスで自分を見つめ直したいと考えたのだ。

ビザなしで渡航し、授業を半日受け、残りの時間は単語を覚える勉強をしたり、クラスメイトと出かけて会話の機会を持つなどした。日本人のクラスメイトにも、「英語で話そう」と最初に伝える事で問題なく英語を使い、英語もぐっと伸びた3か月間であった。一方で、まだまだ言いたい事が言えない事もしばしばあったのと、留学生活で世界や日本に対する自分の無知さを痛感。また、これまで出会ったことのないバイタリティのある方々と話すうちに、アメリカの大学に行く事を決意。3か月の短期留学から帰国後、早速長期留学に向けてビザ取得などの準備を始める。再渡米後は短期留学時と同じ語学学校にてTOEFLを中心に学ぶ。半年後に受けたPBTで590点を記録するまでになっていた。

その後サンタモニカカレッジに進学。そこで、少しばかり芽生えてきていた英語に対する自信が木っ端みじんに打ち砕かれる。授業が分からない。。。それでも必死で食らいつき、アメリカ人より何倍も時間をかけて教科書を読み込み、テスト前は眠気に打ち勝つために立って教科書を読むなど、必死で勉強する。その甲斐もあり、GPAは3.89、ほぼオールAという成績を修め、UCLAの政治学部国際関係学科に編入した。

編入後も、更に難しく、教科書も課題の量も増えた学業に必死。二年間、歯をくいしばって厳しい日々に耐え、最後の試験を終えた日は、校庭で倒れこむ様なやりきった感を感じた。この留学生活を通して、英語が話せる様になった事だけではなく、世界の色んな人と自信を持って自分の意見を発する事が出来る様になった自分自身に、自信を持つことが出来る様になった。

帰国後は一部上場企業の海外営業を担当。アメリカ、カナダ、中国、台湾、韓国、ドイツなどの顧客を担当し、インテルやアップルなどの一流企業に対してプレゼンや電話会議などを日々行った。その後、人事採用担当に異動し、「英語が話せない人は今後採らない」という方針に驚く。海外営業時代の経験からも、「英語が話せるといい」時代から「英語が話せないと仕事にならない」時代に変わってきていると痛感。この現実と、応募してくる学生さんの英語力とのギャップを何とかしなくてはと考えるようになった。私がこうして海外の一流企業と自信を持ってやり取りできてきたのは、やはり海外留学経験が大きかったと再認識。これまでは個人レベルで留学に行きたい方にアドバイスを行っていたが、本格的に事業として取り組むため独立。現在も想いが変わることなく、一人でも多くの方の留学を後押ししてあげたいと考えている。

我々のミッションは、皆さんの「世界への入り口」になる事。留学がとても大きなイベントであることはよく理解している。私にとっても、とても不安だった渡米前の事をよく覚えている。でも、その時行動を起こしたから、今の自分がある。今はこうして、英語が話せる様になっただけではなく、世界のどこに行っても自分の意見を堂々と述べる事が出来る様になった。世界で戦っていけると思うようになれた。そんな成長を皆さんにも体験して欲しいと思う。もちろん私自身もまだまだ成長しなければいけない点は沢山ある。それは、一生かけて全力で取り組んで行きたいと考えている。だから、留学という挑戦をしたいと考えている皆さんには、同じく挑戦する仲間として、最大限のサポートをしてあげたい。

そんな熱い思いを持って、皆さん一人一人に接していきたいと考えています。

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